創業物語

代表取締役会長 後藤 庄次郎

会社立ち上げ当時は、時代的に言いますと「いつかはクラウン」という車文化が飛躍した時代でした。

製造業の変化が活発であり設計業界は人手不足でしたので、日本の製造業をより発展させていくためにも元の設計をしっかり出来る設計事務所を作ろうと思い、5名で立ち上げた設計事務所が技研システックの始まりです。

 

立ち上げ当初から技術者の派遣はせず、自社で技術を蓄えることを徹底的に意識してきました。

今、高い技術力を社内で持つことが出来ていることは当時の判断が良かったからだと感じています。

 

設立したての頃は、他社の設計会社から機械設計の委託を受けることが多くありましたが、徐々にお客様からの評価を得て、設計事務所としての知名度が上がっていきました。

そしてある時、トヨタさんからお声がけ頂き、設計の仕事を受注するようになりました。

はじめに頂いた仕事内容は、部品が正しく作られているかをミクロ単位で確認するマシーンゲージの自動化でした。

ちょうど時代としても、ミクロ単位でのマシンゲージの自動化に取り組み、品質を維持した上で大量生産を始める機運でしたので、技研システックが時代の最先端に挑戦するキッカケとなりました。

 

次の大きな転換となったのは「製作」への展開です。


トヨタさんから自動化の設計をするだけではなく、ボディや足回りを作るために、鉄板を曲げたり、溶接したり、組み付けたりする溶接設備の仕事を頂くようになりました。

初めて取り掛かった製作の仕事はトラックのフレームラインにあるボディマウントです。

ボディマウントにクッションをつけるアーク溶接を自動化するといった依頼内容でした。まだロボットもない時代でしのたで試行錯誤を繰り返しながら完成させました。

このアーク溶接の設備を完成させたことにより、「溶接といえば技研システック」と名前を出していただくようになりました。

 

名前が知られ「設計、製作」を軸として会社が大きくなったころ。

将来的にも機械を単発で作るのではなく、自動化を効率的に行うためにも1ライン丸ごと作らせていただいた方が良いと考え、1ラインの仕事を頂くように受注を進めました。

1ラインの仕事を頂くようになったことで、機械から次の別の機械に移るためのソフト開発を手がけるようになり、

「設計、製作、システム開発」といった現在の業務基盤が出来ました。

 

その後は時代の変化に合わせて電気電子部品の製造などにも関わるようになり、

現在は「人が関わらない真の自動化」にも取り組んでいます。

今後も技研システックは最先端に挑戦していく所存ですが、マシンゲージに取りに組んできた歴史を大切にし、精度の基準を上げて、技術革新に挑戦して参ります。

会社立ち上げ当時は、時代的に言いますと「いつかはクラウン」という車文化が飛躍した時代でした。

製造業の変化が活発であり設計業界は人手不足でしたので、日本の製造業をより発展させていくためにも元の設計をしっかり出来る設計事務所を作ろうと思い、5名で立ち上げた設計事務所が技研システックの始まりです。

 

立ち上げ当初から技術者の派遣はせず、自社で技術を蓄えることを徹底的に意識してきました。

今、高い技術力を社内で持つことが出来ていることは当時の判断が良かったからだと感じています。

 

設立したての頃は、他社の設計会社から機械設計の委託を受けることが多くありましたが、徐々にお客様からの評価を得て、設計事務所としての知名度が上がっていきました。

そしてある時、トヨタさんからお声がけ頂き、設計の仕事を受注するようになりました。

はじめに頂いた仕事内容は、部品が正しく作られているかをミクロ単位で確認するマシーンゲージの自動化でした。

ちょうど時代としても、ミクロ単位でのマシンゲージの自動化に取り組み、品質を維持した上で大量生産を始める機運でしたので、技研システックが時代の最先端に挑戦するキッカケとなりました。

 

次の大きな転換となったのは「製作」への展開です。


トヨタさんから自動化の設計をするだけではなく、ボディや足回りを作るために、鉄板を曲げたり、溶接したり、組み付けたりする溶接設備の仕事を頂くようになりました。

初めて取り掛かった製作の仕事はトラックのフレームラインにあるボディマウントです。

ボディマウントにクッションをつけるアーク溶接を自動化するといった依頼内容でした。まだロボットもない時代でしのたで試行錯誤を繰り返しながら完成させました。

このアーク溶接の設備を完成させたことにより、「溶接といえば技研システック」と名前を出していただくようになりました。

 

名前が知られ「設計、製作」を軸として会社が大きくなったころ。

将来的にも機械を単発で作るのではなく、自動化を効率的に行うためにも1ライン丸ごと作らせていただいた方が良いと考え、1ラインの仕事を頂くように受注を進めました。

1ラインの仕事を頂くようになったことで、機械から次の別の機械に移るためのソフト開発を手がけるようになり、

「設計、製作、システム開発」といった現在の業務基盤が出来ました。

 

その後は時代の変化に合わせて電気電子部品の製造などにも関わるようになり、

現在は「人が関わらない真の自動化」にも取り組んでいます。

今後も技研システックは最先端に挑戦していく所存ですが、マシンゲージに取りに組んできた歴史を大切にし、精度の基準を上げて、技術革新に挑戦して参ります。

1965年 3月 尾張旭市にて機械設備設計事務所創業
1972年12月

名古屋市名東区一社へ移転し、技研興業(株)に改組
資本金200万円                                

1977年 9月

名古屋市守山区天子田へ本社・工場新設移転

1985年 12月

資本金500万円に増資

1986年 8月

尾張旭市井田町四丁目211番地に旭工場新設

 1989年 8月

現在地に本社新設・工場集約移転し、(株)技研システックに社名変更

1995年 9月

資本金1,000万円に増資

 1998年 4月

トヨタ自動車(株)栄豊会加入

1999年 4月

デンソーFAシステム会加入

2003年 1月

SO14001認証取得

2006年 1月

平成17年度愛知ブランド企業認定

2008年 1月

太陽光発電(30KW)設置

2009年 3月

太陽光発電(20KW)増設/計50KWにて発電中